昨日はキュートにぷーちゃんが来てくれました。

全身5mm、足バリで、尻尾はポンポンに、

顔はティディで、耳は短めに、ぷーちゃんカワイイ~(#^^#)

ぷーちゃんまた来てね(#^^#)
ここからは母のことについて、興味のない方はスルーしてくださいね。
2017年12月からお世話になっている施設で、母が息を引き取りました。
享年89歳でした。
コロナがあり、面会もままならないこの3年で容態は悪くなりました。
1年ほど前に、全部食べているのに痩せてくるのは癌であるとか何かしら
体の中で起こっていると思われますが、積極的な検査や治療をするか聞かれ、
認知症があるので検査や治療は無理だと思い、自然に任せることにしました。
その時に最後の時、病院に入る、家に帰る、施設で看取るのどれかに選ぶように
言われたのですが、施設で看取って貰うことに決めましました。
1ヵ月チョット、容態が悪いと連絡があって喉がゴロゴロするので食べることが
出来ませんでした。
いつ何があってもおかしくない状態から1ヵ月少し、母は体力があったのですね、
姉は毎日のように母に会いに行ってくれました、私も時間を作っては一緒に
行きました。
持参したポカリスエットなどの水分やプリンなどは食べさせてくれていましたが、
点滴だけで1ヵ月過ごしたような形でした。
私が最後に行った時、ミカンが好きだったのでポンカンを絞って飲ませてあげた時、
泣いたように見えたのは何だったんだろう?
亡くなってから最後のお別れに転勤になった人まで施設の方々が入れ代わり
立ち代わり会いに来てくれてました。
こんなに沢山の方が母のお世話をしてくれ、この施設を選んで良かったと思いました。
70歳で交通事故に会い頭を打って水頭症からの認知症だと思います、足も悪くなり
今まで行ったお稽古を皆辞めてしまいました。
そのころ私はトリマーの学校に通っていたので週に数回買い物に実家に寄っていましたが、
最後は出来合いの物しか買わなくなっていました。
目が見えなくなっているので余計おかしいのかと白内障の手術もしましたが、その時
看護婦さんにも少しおかしいと言われた記憶があります。
徐々に行動がおかしくなり76歳の時受診しアルツハイマー型認知症と診断されました。
その後、水頭症の手術もしましたが一瞬は良くなりましたが壊れてる細胞は無理で
段々症状は進んできました。
2011年8月から施設に入る2017年12月まで6年4か月我が家で、施設で5年3ヵ月
11年7か月、よく頑張ったね。
子供たちの仕事が休みになる日曜日がお別れの日、仕事を休むことなく出来る
この日を選んだのか。
死因は老衰、「お母ちゃん」と呼ぶ人が居なくなるのは悲しいですが、
私達よりお稽古に出掛け忙しかった母、お料理が大好きで綺麗好きだった母、
私達の事もわからなくなったので施設に入って貰ったのだけど、最後は何も食べれず、
痩せて細くなってただ生きているだけで楽しいのだろうか?と思った事もあります。
やっと楽になるね。
今頃、美味しいもの食べてるかな?お父ちゃんと会ってるかな?
思い出はたくさんありますが、大事に育ててくれてありがとうございましたm(__)m
尚、家族葬で執り行いますので勝手ながら一般参列お香典などは失礼ながら辞退
させて頂きます。
色々お世話になりましたが、恐れ入りますが何卒宜しくお願い致しますm(__)m
こちらでも、母の介護のカテゴリーを作っていたので、とりあえず報告まで。
今日もコメントはクローズさせて頂きますね(*´v`*)


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