ずっと延び延びになっていた事を報告することにします。
まずはアノンの会陰ヘルニアの手術は無事に終わり、数日入院する予定が
アノンの目薬が1日3回する事と、夜間は病院の人数が限られていることから
1日で退院となりました。
ただ、かかりつけのお医者さんには毎日通院することが約束でした。
今は元気にしていますが、老犬特有の咳が気になっているくらいです。
報告しなきゃと思いながら、母の逝去と連休には吉野で母の四九日の法要があり
その間も重大な事があり、バタバタしておりました。
そんなこんなで連休は吉野に行っていました。

長くブログでお付き合い頂いている皆さんは、お気づきの事と思いますが、
ここに居るはずの子がいません。
皆さん楽しく連休を過ごしていると思うので、連休が終わってからの報告としました。

しゅりは4月28日午前11時50分、15歳10か月23日で永眠しました。
後、2か月もすると16歳だったのになぁー。

最後の4匹での写真。
亡くなるその朝もご飯を食べたが、しゅりを呼んでも触っても尻尾の振り方が少しだったので
調子が悪いのかな、なんかおかしいなと一瞬、思ったのです。
夜の7時半を回って咳をしだし手足が冷たいので、甲状腺機能低下症の加減で手先に
血液の周りが悪いのかと思い、夜の薬を飲ませこたつを出して温めると暖かくなってきたが、
また11時頃から咳をしだし、薬を飲ませると落ち着き寝だしたが、1時頃また咳をしだした。
この時これくらいで夜間救急に行くのはもっと悪い子の為に行ってはいけないと思った。
しかし4時頃ちょっとこれはダメと思い、この時間に空いているのは
摂津の夜間救急だけで(朝6時までしてる)電話してすぐ向かうと、病院の手前で息が
止まった、人工呼吸と心臓マッサージをしながら病院に向かうとすぐに看護婦さんが
連れて行ってくれ、気管挿管をし人工呼吸器で一命をとりとめた。
この時心臓は悪くないので、何かの感染症から肺炎になり肺水腫になっていたようです。
酸素ボンベをレンタルし、鼻から酸素を入れながらかかりつけの病院に連絡しているので
車で向かった、夜間救急の先生は途中で亡くなる事の方が可能性としては多いと思って
いたのですが、しゅりは持ちこたえてくれ、一安心し希望をもっていた。
病院よりまた心臓がとまりそうだと私の携帯に病院から連絡があった。
仕事も途中で向かったが、先生の蘇生効果でまた戻ったが、次があったときはどうするか
決断を迫られた。
ワンコの場合、まずは息が止まり心臓がとまるそうで、もしも蘇生しても、同じことを繰り返しても
いつかは心臓が止まるそうです。
これが治るならいいが、しゅりを何度もしんどい思いをさせるのは可哀そうと思っていた。
この時点でも酸素濃度の数値を見ると、きっと無理だなと感じた。
まだ少し仕事が残っているので、まずはお願いして仕事に戻り終わったころにまた電話が
入った、すぐに向かって先生はまだ心臓マッサージをしてくれていましたが、もういいですと
しゅりを連れて帰った。
色々心の整理をつくまで、時間がかかるだろうと思ったがしゅりの里のグレースママさん
には連絡を入れたが、絶対お花とかを送ってくれるのはわかって居たので、それは
悲しすぎるので何も送らないでとお願いした。
長い付き合いなので、私の気持ちを察してくれた。

今となれば、1年2か月前に手術して、この間美味しいものを沢山食べて元気に過ごせた事、
その日まで元気で、よく考えるとしゅりはピンピンコロリと亡くなったのです。
人間で言えば5年程命を貰ったということかな?
しゅりは手術の加減で腎臓の数値が悪くなり1週間に1回点滴に病院に通っていた。
咳は年齢的にある事なので、予備で薬をもらっていた、甲状腺機能低下症が発見され
薬を飲みだしたばっかりで、気になっていたのだが、この時も聴診器では肺の感じも
悪くなかった様子でした。
色々後悔というものは当たり前ですが後から来るものですが、あの時と色々思うことはある。
もしももっと早く夜間救急病院に行っていたらと思っても、しゅりは腎臓が悪くなってきていたので
その病気の治療中に薬を使うので、より腎臓に負担がかかり悪くなり違う亡くなり方を
したとおもいます。
もっと一緒に居たかったけど、最後まで食べれて元気で過ごせた事、私達に笑顔を
くれたこと、良かったと思う、本当にしゅりはよく頑張ってくれた。
本当にありがとう。
みんな目が見えなくなってきて、頭など打たないように色々なものを移動してたのだけど
しゅりが居なくなってそれをしなくて済むということは、1番ウロウロしてたんだね。
朝1番に起きてご飯の催促をする子がいなくなり、みんないつまでも寝ていて、朝ご飯の
時間が遅くなってる。
年をとっても変わらず尻尾を振るとき、お尻全体までフリフリとする姿、いつでも私のストーカー
足元に絡みついてきて蹴ってしまいそうな事もあった。
外から帰ると1番に歓迎の出迎えをしてくれるしゅり、そこからみんなやっと気づいて
アノン、ミル、くららとやってくる。
居なくなった寂しさは沢山あるけど、前向きに生きなきゃいけない。
病気の時も応援、お世話になった皆様ありがとうございました。
家族で、ちゃんと見送りましたので何かの時にしゅりの事を思い出してくれるだけで
ありがたいです。
何かをと思って下さる気持ちは重々わかりますが、何とか堪えて過ごしてる日々、
何か一つ崩れると音を立てて崩れそうです、そっと見守ってくれることが1番嬉しいです。
母も亡くなり、しゅりも亡くなり、なんだかなぁーって気持ちと、あと3回もこんなことが
起こるのかと思うと気が滅入りそうですが、気づいていない事とします。
お客様をはじめ、ブログのお友達も年々少なくなり虹の橋のたもとの住民になり
寂しくなっています。
連絡も取っていないので、わかりませんが元気な子は頑張って、虹の橋のたもとの
住人になったお友達はこの場を借りて、ご冥福をおいのりします。
しゅりも新しい住人になったので仲良くしてあげて下さいね(#^^#)
また会えるその日まで・・・。
今日もコメントはクローズさせて頂きますね(*´v`*)


